スタッフまんちゃんのクライミング独り言 その9
こんにちわ、お久しぶりでございます。
さて僕がボルダリングを始めたばかりの2012年頃はまだクライミングジムの創成期からすると第二期くらいの時期で大阪府内でも数えるくらいのクライミングジムしかなかったものです。必然的にどこかしらに人が集まるといった状況だったので僕の普段のホームジムもなかなかに猛者どもが集う場所でしたし、当時は課題が辛いことでも有名でした。
そこから2~3年くらいの期間で大阪府内にクライミングジムがどんどん出現し、2015年くらいからは発展途上期を向えたように思います。ただし同時にそれはお客さんの奪い合いでもあり、既存のジムは生き残りを懸けなければならないし新興ジムももちろん生き残るために様々なやりかたで老舗に対抗してゆくといった状況になったように思います。気が付けば僕の周囲のクライマーたちもジムを経営しだしたり、ジムスタッフになったりする人達がちらほら(というか結構輩出しました僕の普段のホームジムからは)、また転職、転勤、結婚、子育てでやめちゃったりで、いつしかホームジムに集う顔ぶれも様変わりしてしまいました。
でもって、このご時世です。そこは容赦なくこの業界にも影響を及ぼしたと思います。2020年を迎えるころにはもうクライミングジムは(思うに)飽和状態になり、その勢いに歯止めをかけるかのごとく始まった現在のこの状況(いわゆる○○○禍、書きたくもないので○○○)。当初追い風になるはずだった東京オリンピックも結局そこまでとは言い難く、むしろ未だに続くこの状況下クライミングジムを閉めるというニュースがちらほら聞こえてくる2022年になっているような気もしなくもありません。
しかしながら元気なジムは元気に営業を続けるべきですし、元気なクライマーさんは普段通りに登らはったらいいと僕は思っています。
ちなみに店長はめっちゃ元気(僕ももちろん元気ですけど)で、僕からすればちょっとそのクライマーとしての能力値はバグり気味に映らなくもありません(笑)。そんな店長と話していたのは「うちはブレずにいきましょう」ってこと。とてもいいと僕は思います。ブレだすとそのときはショック療法的に効果あったとしても長期的にみた場合はよくても±0にしかならないのでは。って思うんです。
それは何事にも通じるというか、やっぱり浮き沈みはあれどブレないモノは長寿です。B’z然り、ミスチル然り、吉本新喜劇然り、新日本プロレス然り、TOYOTAハイエース然り、近所の喫茶コンパ然り(笑)…クライミングジムもまた然り。マンネリは実は偉大なのです。多少の文句はあれども、実はマンネリを求めていたりするんですよね、人は。
そんなわけで10o’clockは変わることなく難しいと常設&マンスリー課題と狂ったウィークリー課題で多分いくでしょう(笑)。よろしくお付き合いくださいませ。
そして夏休みに入ったので、常設課題とマンスリーに行き詰まっちゃったというそんなあなたには外ジム行脚をおススメいたします。うちで登っていると外にいくとサクサク登れちゃうってこと実は結構あるあるなんで。おでかけがてら、ついでに外ジム行くってなかなか夏休みらしいと思います、めっちゃ暑いですけど(笑)。